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塩田平の歴史を伝える「戦争を伝える松」について
いつもあぜみち山荘のブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。 本日は、私たちの店があるここ塩田平の歴史に関する、少し深いお話をさせていただきます。 当店の周辺や塩田平の山を歩いていると、幹に大きな傷がついた松の木を見かけることがあります。実はこの傷、ただの傷ではなく、第二次世界大戦の末期に刻まれた歴史の跡なのです。 当時、深刻な燃料不足に陥っていた日本(軍部)は、松の木から採れる「松脂(まつやに)」を集めて航空機用の燃料(ガソリンの代わり)を作ろうと計画しました。そのため、上田市内でも多くの松の木に傷がつけられ、大規模な松脂の採取が行われました。 結局、この松脂燃料が実際に使われる前に昭和20年8月15日の終戦を迎えたと言われていますが、今でも塩田平の東山や鴻野地区、丸子西内地区、真田町長地区、下武石地区などで、その傷跡を残したまま力強く生き続けている松の木を見ることができます。 これらは、当時の激しい物資不足や戦争の記憶を今に伝える、大変貴重な「戦争遺跡」です。 当店にお越しの際や、塩田平の豊かな自然を散策される際は、ぜひこうした歴史にも目を向けてみてくださいね。今を生きる私たちに、平和の大切さをそっと語りかけてくれているような気がいたします。
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本日は、私たちの店があるここ塩田平の歴史に関する、少し深いお話をさせていただきます。
当店の周辺や塩田平の山を歩いていると、幹に大きな傷がついた松の木を見かけることがあります。実はこの傷、ただの傷ではなく、第二次世界大戦の末期に刻まれた歴史の跡なのです。
当時、深刻な燃料不足に陥っていた日本(軍部)は、松の木から採れる「松脂(まつやに)」を集めて航空機用の燃料(ガソリンの代わり)を作ろうと計画しました。そのため、上田市内でも多くの松の木に傷がつけられ、大規模な松脂の採取が行われました。
結局、この松脂燃料が実際に使われる前に昭和20年8月15日の終戦を迎えたと言われていますが、今でも塩田平の東山や鴻野地区、丸子西内地区、真田町長地区、下武石地区などで、その傷跡を残したまま力強く生き続けている松の木を見ることができます。
これらは、当時の激しい物資不足や戦争の記憶を今に伝える、大変貴重な「戦争遺跡」です。
当店にお越しの際や、塩田平の豊かな自然を散策される際は、ぜひこうした歴史にも目を向けてみてくださいね。今を生きる私たちに、平和の大切さをそっと語りかけてくれているような気がいたします。